体力の限界を知っておくことが大切
民間企業で働いていると、ときにはハードに働かなければならない場面が訪れます。
たとえば、地震で勤めている工場が大きな被害を受けたとか、コロナで多くの同僚が休職を余儀なくされたとか、不動産業界のように春先に1年の半分の仕事が集中するとか、さまざまな理由で激務を余儀なくされる場合があります。
そのときに、あなたが頑張りすぎて、倒れてしまったらどうなるでしょうか。
もちろん、あなた自身が一番大変ですが、周囲をそれ以上に困らせることになります。激務の最中に突然チームの一人が引き継ぎもせずに、いなくなるのですから。
だから、どんなに忙しくても倒れてしまわないように、働き方をコントロールしなければなりません。
そのためには「自分の体力の限界がどれくらいか」を、予め知っておく必要があります。
プータローになって自分探し
私はもともと文系人間ですが、高校時代の仲良しグループが理系クラスに進んだため、私も理系に進み、首都圏にある中堅私大の理工学部に進学しました。
大学生のときから専攻に違和感がありましたが、折角4年間、時間とお金をかけて専門知識を学んだことが惜しいため、ダメもとで建設コンサルタントに就職しました。
いざ働きだすと、やっぱり面白くない。
しかし「石の上にも3年」と言います。3年だけ頑張ってみようと決めます。
ところが「3年たってもやはり面白くない」。仕方なく会社を辞めることにしました。
つぎの仕事は何にしようか。いわゆる「自分探し」が始まりました。
半年くらい実家に寄生し、プータロウ(無職生活)をしながら、つぎの仕事を何にするか考えました。
結論は「何か手に職をつけなければならない」というもので、理系で数字に強いこともあって「企業の経理マン」になろうと考えました。
なぜこれに決めたかというと「会社には必ず経理部門があるから」です。この仕事なら「喰いっぱぐれしないだろう」というわけ。
企業の経理マンとして採用されるためには、経理の仕組みがわからなければなりません。
そこで、3年限定と決めて、近所の会計事務所に入ることにしました。
ところが、その事務所は地元で有名な「ブラック会計事務所」だったのです。
ブラック会計事務所だった
地方では比較的に大きな会計事務所で、職員は25名くらい。20代の若手が多く楽しい職場環境なのですが、とにかく「ブラックな職場」でした。
給料は、月16万円(最低賃金レベル)、残業手当なし、休日手当なし、ボーナス一切なし。
とどめは社会保険なし。
どれだけ残業しても「仕事は必ず終わらせろ」という恐ろしい職場でした。
所詮、会計事務所なんて零細企業です。どこも似たり寄ったりの待遇だったと思います。
普段の月はヒドイ残業にはなりませんが、3月の確定申告時期になると地獄が待っています。
だいたい、12月の年末調整から少しづつ忙しくなり、2月15日の確定申告開始から、本格的なブラックモードに突入します。
段階的に残業時間が増えていき、3月1日から15日までの2週間がピーク。
3月の始めは24時くらいまで残業、そこから25時、26時と少しづつ残業時間が増えていきます。
最後の1週間はAM3:00くらいまで残業し、最終日の3月14日は徹夜。これが毎年のパターンでした。
もちろん日曜も出勤、女性だって青白い顔色で薬を飲みながら、24時くらいまでは残業していました。
ところが、これだけ働いて残業手当ゼロです。本当に1円も出ません。完全な労働基準法違反です。
ただ後から考えると、ひとつだけ良いことがありました。
それは「自分の体力の限界を知ることができた」ことです。
自分の体力の限界がわかった
お酒を飲み始めた頃は、自分の酒量の限界がわかりませんよね。
ビール、洋酒、焼酎など、何をどれくらい飲むと「酩酊する」「意識がとぶ」「急性アルコール中毒になる」など、まったくわかりません。
それと同じく、社会人になって仕事を始めた頃は、どういった仕事で、どれくらいの時間働き続けると「体力の限界」に到達するかがわかりません。
また、体力の限界に到達したら、自分の身体のどういう兆候・症状がでるかもわかりません。
体力の限界で身体に起きた異変
いくら私が体力がないといっても、単発の徹夜くらいは平気です。
でも、2週間以上連続で毎晩24時以降まで働くなると、話が変わってきます。
最終日3月14日、徹夜をする前の時点で身体はボロボロ、体力が残っていなかったのです。
そんな状態で徹夜をして、たしか朝の9時くらいだったと思います。
最後の顧客の申告作業をしていたら、瞬間的に意識が「プツっ」と切れたのです。
「アレっ、いま何が起きたんだろう?」、自分的には「瞬きをした感じ」です。
ほんの一瞬だけ意識が飛んで、また直ぐ正常に戻る感じです。切れかけた蛍光灯が点滅するイメージですね。
最初は5分に1回くらい意識が飛んでましたが、その間隔が3分になり、1分になり、とうとう数十秒間隔で意識が飛ぶようになりました。
当時27歳くらいでしたが、さすがにこれはマズイと思い。同僚にSOS。応接室で1時間の仮眠を取ることにしました。
幸い、仮眠のあとは大丈夫で職場に迷惑をかけずに済んだのですが、そのとき「ははーん、これは自分が倒れる前兆現象だな」とわかりました。
この経験が、後々大変役に立つことになったのです。
限界を知ったことが、後で大変役に立った
私が40歳くらいのときでした。当時の私は、地方の中堅企業で経理課長というポジションです。
そこは地方銀行系のリース会社だったので、文系出身の社員が多く、たまたま理系出身の私は、コンプピューターに詳しく、経理だけでなく社内ネットワークの管理までやらされていました。
ご多聞にもれず、平日は朝8:00から深夜12:00くらいまで働き、土曜と祝日も出勤。
週に1回、日曜日だけ休むような状態でした。
なぜ日曜は休んでいたかというと、週に1回は休まないと、仕事のペースがガクンと落ちるからです。
要するに、平日16時間、土曜と祝日は出勤という働き方が、私にとっては「肉体的かつ精神的な限界」だったのです。
仕事はできるヤツに集中する
ここは余談ですが、私のサラリーマン経験から導いたセオリーがあります。
それは「仕事の報酬は仕事」というものです。
上司から命令された仕事を、必死になって何とかこなすと、さらに難しい仕事を命令されます。それを何とかこなすと、またさらに難しい仕事がやってくるということです。
つまり「仕事の報酬は仕事」なのです。
これには理由があります。
社内の業務で解決困難な問題が発生したとします。そこに仕事ができないヤツを10人連れてきても解決しません。
ところが、仕事ができるヤツを1人連れてきたら、パっと解決するんですね。
これに関しては、プログラマーや整備士さんを例にするとわかりやすい。
車の「エンジン不調の原因」がなかなかわからないとか、設計通りにプログラミングしたのにシステムが「動かない原因が不明」といった場合です。
そこにできないヤツを10人連れてきてもダメです。でも、できるヤツを1人連れてきたら、解決するんですよね。
結局、会社内で発生した難易度の高い問題は、特定のできるヤツに集中します。
忙しい人は、ますます忙しくなるのです。
ある時期仕事が集中していた
私が仕事ができる人間だったかどうかはさておき、40歳頃に社内の仕事が集中して命令されて、エンドレスで残業して必死にこなそうとしましたが、どうにもこうにも身動きがとれない時期がありました。
本業の経理と社内ネットワークのメンテだけなら楽勝です。毎日8時間で終わり、残業も必要ありません。
ところが、それ以外に社内プロジェクトのリーダーとか、ホストコンプーターを含めたシステムの再設計業務の現場責任者などを命令されるのです。
毎日24時までの残業は普通、土曜も祝日も働いても追いつかない。
ゴールデンウィークやお盆休みも、たった1日しか休めない。といった感じでしたね。
このときに、「体力の限界を知っていたこと」が非常に役に立ちました。
命より大切な仕事なんてない
ある晩、翌日の社長と監査法人を交えた会議で使う資料を、オフィスで作成していました。
時間はAM3:00です。このまま徹夜すれば会議資料は完成するだろう。
まだ意識が切れる前兆現象はおきていない。前兆現象が起きる少し前といった感じ。
しかし、そのとき42歳。体力に絶対的な自信なんてない。
もう一度考えます。「このまま徹夜すれば完成するけど……」どうしよう。
このまま徹夜して資料が完成したとしても、会議中に倒れてしまったら何にもならない。かえって皆に迷惑をかけてしまう。
ヨシッ、決めた。「すみません。できませんでした」と頭を下げよう。
だって、命よりも大切な仕事なんて、会社にはないでしょう。
頭をさげて、詫びれば済むことです。
実際に会議が始まる前に上司や監査法人の先生方に、資料未完成のお詫びをしました。
そしたら、拍子抜けするほどの軽いリアクションでした。
監査法人(笑顔で)「●●さん大丈夫ですよ。出来ているところを使ってやりましょう」
命よりも大切な仕事なんて
会社にはない。上司に助けを
借りるか、頭を下げればいい。